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八方破れな噺家がいました

戦後の昭和の時代にも、八方破れな噺家がいました。五代目古今亭志ん生です。若い時には、貧乏と道楽の毎日だったといいます。この志ん生の経歴や資料に少し違いがあるので、詳細な事実ははっきりしませんが、関東大震災の時に、酒を地面に吸われるのは大変と、酒屋に行ってタダ酒を飲み、地面の揺れか自分の酔いが分からないエピソードがあります。実際に噺家として売れたのは戦後のことで、大陸へと慰問に出かけたことで、ぎすぎすした芸風から丸みをおびた芸風へと変わります。

芸への執念

五代目古今亭志ん生は、大陸から帰国後にラジオ東京(今のTBSラジオ)や、ニッポン放送の専属となり、ラジオ高座を持つようになりました。このころから人気が出てきて、紫綬褒章を受章したり、勲四等瑞宝章をもらうようになりました。晩年は、芸への執念を燃やしていました。三遊亭圓朝などの速記本を読むという時間を過ごしていました。