桂文楽の功績
昭和を通して、芸や人望、受賞歴や政治力に優れた噺手は、ずばり八代目桂文楽でしょう。まず、昔からのおしゃべり好きから明治四十一年に初代桂小南に入門したところから落語家のキャリアをスタートさせます。昭和の時代に入り、昭和二十九年に「素人鰻」で、落語界初の芸術祭賞を受賞しました。さらに、昭和三十六年に噺家として初めて紫綬褒章、昭和四十一年には勲四等瑞宝章を授与されたため、賞や褒章を受けたのは、彼が最初とも言われています。
落語の極致とも言われています
桂文楽は、持ちネタこそは少なかったのですが、一つ一つの噺の無駄を省き、心配りのきいた噺でファンを獲得しました。人物描写は極めて的確だったため、分かりやすかったものです。明るく艶のある高座から、「落語の極致」とまで言われていました。昭和四十六年の「大仏餅」の口演中に絶句してしまったのを最後に亡くなりました。