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豆落語家から出発

歴史上で名前を残した噺家としては、柳家金語楼という噺家がいます。子供の頃は豆噺家として有名でしたが、声変わりの時期に人気を落としてしまいます。しかし、戦後には、兵隊落語で絶大な人気を誇るようになりました。しかし、兵隊落語だけでは押しきれないと考えて、数々のネタを考えるようになり、新作を作り続けて五百本になりました。戦時中は、数々の噺家と協力して、落語研究会を再生させました。当時流行していたジャズなどをバックに噺をしたという逸話があります。戦後はテレビ出演も多くこなしていました。

戦後の柳家金語楼

戦後、柳家金語楼の活躍は、昭和二十八年NHKテレビ開局とともに「ジェスチャー」という番組へレギュラー出演を果たしており、昭和四十三年まで、長くキャプテンとして続けました。他にも、コントドラマの「おトラさん」に出演。また、晩年は「ベープの蚊取りマット」のCMにも出ました。芸能人としても活躍していました。