鹿野武左衛門の活躍
歴史上では、江戸での噺屋さんがいたようです。名前を鹿野武左衛門といいます。彼の生まれは上方生まれにもかかわらず、江戸に出てきたのには、理由があるようです。それは、京都で露の五郎兵衛の辻噺を聞いた武左衛門は、「わしもやってみたいけれども、京都では太刀打ち出来ん。そうや!江戸に出よう!」と思い、江戸行きを思いついたようです。他にも理由はあったようですが、三十歳ぐらいで江戸に出てきました。路地に小屋を作り、噺を演じたことで噺を伝わりやすくしました。そこが武左衛門の工夫でもありました。
江戸での噺屋さん
江戸時代に活躍した噺屋であった鹿野武左衛門は、小屋の中での噺が多かったものです。往来の中での辻噺では、噺が通らないという理由からです。江戸というと、べらんめえ口調のイメージがありますが、日本各地から来ている江戸にはいろいろな言葉がありました。武左衛門は、「上方弁まじりの江戸言葉」で噺を演じたため、後に刊行になった噺本にも、上方弁なまりがあったとされます。