初代米沢彦八の活躍
彼の活躍は、生玉神社の小屋を本拠地として、「当世仕方物真似」の看板を掲げてから人気に火がつきました。「仕方物真似」は、身振り手振りが沢山入る物真似で、歌舞伎を真似て演技したり、当時おきた身近な事件などを派手に楽しく再現する芸のことをいいます。小道具を使って、大黒天がかぶっているような周りが膨らんだ形の大黒頭巾など、沢山の小道具が使われました。かぶり物を多く使ったり、湯呑み茶碗を使っての演技だったため、当時の江戸、大坂、京都から出た「鳥羽絵」に物真似が書かれていたりしました。
大阪に噺屋さんが誕生
時代は天和(てんな)年間に、主に大坂の生玉神社、新町西口、道頓堀、天王寺などで辻話をしていたのが、初代の米沢彦八でした。諸説ありますが、露の五郎兵衛の噺を聞いて、「自分も噺屋になりたい」と願って始めたという説があります。主に大坂で活躍していたようです。