幕末から明治へ
幕末から明治にかけて人気のあった落語家は、三遊亭圓朝が一番有名でした。圓朝は、落語家へと入門するのですが、自分の道を探すように商家へ奉公に出たり、浮世絵師の内弟子になったりしましたが、やはり噺家になろうと、三遊亭圓朝と名乗り、精進をしたといいます。一目見ると遊び人のようでしたが、芝居噺の道具や背景を作れたところで人気を集めました。それを見た師匠である二代目の三遊亭圓生の気にさわったようで、演目を先回りするほど嫉妬したといいます。そして明治へと移ります。
三遊亭圓朝と明治時代
明治維新が行われ、圓朝の芸風にも変化が訪れます。当時の明治政府は、寄席でのもめ事がきっかけになり、「鳴り物、道具入り芝居咄」を弟子の三代目三遊亭圓生に譲り、自分は素噺だけを演じるという芸風に変わりました。弁舌だけで噺を演じたいという純粋な意志と、明治政府からの「寄席での演劇類似行為の禁止」という政府からの縛りもあり、今現在に通じる寄席のスタイルが出来ました。