明治時代の異色の落語家
明治維新になり、鎖国が解禁になったところから、外国人噺家が誕生しました。彼の名は初代快楽亭ブラックといい、大変波乱に満ち溢れた人生でしたが、日本での活躍は、落語の高座での活躍よりも、芸能活動以外の方で高い評価を得ました。日本初のレコード吹きこみの第一人者としての印象が強かったようです。名人とされてきた、落語や、能楽謡、音曲などのジャンルの声がレコードとして吹きこまれていきました。現代のCD時代になっても、その技術は残り、後に落語家の演目がステレオから聞くことが出来るようになりました。
珍芸などもありました。
日本の落語家でいうと、明治時代で有名になった噺家は、初代三遊亭萬橘が代表的になります。後輩であった三遊亭圓遊が「ステテコ踊り」に刺激を受け、赤い手ぬぐいを回して「ヘラヘラ踊り」が人気になりました。その他にも、珍芸だけではなく、正統派の噺もしないと飽きられるということで、続きものの人情噺をするようになったのです。三遊亭圓遊と禽語樓小(きんごろうこ)と共に落語の改革をしました。