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桂文枝の門弟たちの活躍

多くの弟子を育てた桂文枝ではありますが、彼ら門弟たちの活躍にも目を見張るものがあります。初代桂文枝一門で優秀だったのが、桂文三・桂文都・桂文團治・桂文之助の4名でした。彼らは「四天王」と呼ばれました。二代目の桂文枝を名乗ったのは、桂文三でした。襲名に至るには大変なことがありましたが、それでも二代目の桂文枝は、穏やかな人柄で、芸も素晴らしく、お腹から込み上げる笑いが持ち味だったようです。桂文枝からの襲名が叶わなかった桂文都は、名前を改名して寄席の興行面をでも対立したといいます。

面白い芸風の噺家もいました

桂一派の「四天王」のうちの一人で、桂文之介が面白い存在でした。大阪の噺家が使う「見台」と「膝隠し」を使わずにお座敷遊びにも使える芸を見せていました。粋な芸風に人気が集まり、文之介は、師匠がが病気療養中でも、代わりに座長を務めていました。粋なことが大好きだったため、噺家を引退しても、現代でもある「生前葬」をしたことでも有名でした。