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幕府にも負けない落語文化

会咄(かいばなし)は、大坂でも取り上げられていましたが、ついに江戸でも会咄をするようになりました。やはり面白い娯楽が受けたものです。江戸落語中興の祖・初代鳥亭焉馬(うていえんば)が活動を軌道に乗せました。様々な趣向をこらした舞台で、決して木戸銭は取らず、同好の士が集まってお互いの噺を発表するので、小噺が三百ほどあったとのことです。しかし、寛政の改革による風紀粛正の政令を受けて、この咄の会も自粛されてしまいますが、表向きは勉強と称して、咄の会を続けていたそうです。そして一部解禁となった歴史があります。

趣味の会から発展

最初は同好の士が自作の小噺を披露するための趣味の会であった咄の会が、寛政七年からは上方のように一般公募を始めるようになりました。この優秀作品が「喜美談語」(きびだんご、きみだんごともいいます)「詞葉の花」(ことばのはな)が選ばれました。この中から、現代も演じられる「馬のす」「饅頭こわい」の言話があります。この「饅頭こわい」の原作が一番現代に近いものとされています。