江戸落語の復活
一部の落語でのデマ騒ぎや、江戸幕府の贅沢の戒めがあったために沈黙していた江戸の落語ですが、上方では、漢文落語の最盛期にあたり、地口(言葉遊びの洒落)や、茶番(芝居のパロディ滑稽劇)が流行し、川柳や狂歌など、笑いを含めた文学の趣味が広がっていました。そんな中、木室七左衛門朝濤(きむろしちざえもんともなみ)が、京都御所内の造営の為に京都へ滞在が決まりました。その時に「京で流行っていた噺本を出してみよう!」ということで、明和九年に「鹿子餅(かのこもち)」を刊行しました。これにより、江戸時代に噺が復活することになりました。
現代落語にもつながる噺があります
「鹿子餅」発行にともない、江戸でも噺を聞くことが復活してきましたが、この中での噺で、現代につながるものは、「千両みかん」や「開帳の雪隠」といった演目の原文があります。噺本の流行のきっかけが「鹿子餅」になった時と同じくして、「楽牽頭(がくたいこ)」や、「聞上手(ききじょうず)」といった噺本が出たことで、江戸庶民の噺の関心を高めるきっかけになりました。