桂春圑治の活躍
吉本興業の月給制は、今でこそ当たり前のシステムですが、やはり安定を考えると、月給制が良いという考えが出てきました。特に吉本創世期の桂春團治の月給が破格の金額でした。小学校教諭の初任給が四十円から四十五円の時代に、彼だけは七百円も支払われたといいます。それだけ桂春團治は活躍したといえます。桂春團治の芸風が八方破れの芸人でもあり、様々な逸話を残しています。芸風が派手であることはもちろん、私生活でも結婚と離婚をして、「後家殺し!」という声が上がっていました。
レコード吹き込みが楽しい
桂春團治は、レコード吹きこみが多く、一番奇抜なものは、堅焼きせんべいに声を吹きこんで、落語を聞いてからバリバリ食べる「春團治のものいうせんべい」を作ったという逸話があります。 また、レコートのレーベルに「春團治レコード」と印刷したり、レコード会社を二重に契約してトラブルになったお話もあります。破天荒な落語家でもあったようです。